ワールドメイトはどれくらい怪しいのか?

僕はワールドメイト会員歴20年以上ですが、他の宗教団体に入ったことがなかったのでワールドメイトに入会する際も、当然怪しいのかな…と色々と疑問を持ったのを鮮明に覚えています。

それまでの宗教に対するイメージは良い印象を持っていなかったので、自分は宗教団体に入信することなどあり得ないと思っていたので、自分がワールドメイトに20年以上会員でいることが未だに信じられない部分があります。

疑問を持つのが当然

ワールドメイトのどの点が怪しいのか?それは現在までに他の宗教団体に入っていた方とそうでない方で着眼点は違ってくると思うのですが、大前提としてこの世の尺度や自分の基準で考えても答えが出ない部分が多々あるのはワールドメイトに限った話ではありませんが必ず理解できない点は存在します。

なぜ霊界があるのですか?なぜお葬式をするのですか?仏式の葬儀の際に念仏を唱えるのは意味があるのですか?など明快に回答できない事柄であったり、意味は分からなくても慣習や慣例となっているものも無数にあるわけで、全て自分の尺度や価値観で判断するということこそ間違っているのです。

神様や守護霊様は未来を見通せるので、先を見越して「今は〇〇すべき時期だ」「魂の成長の為に〇〇できるよう導こう」など高い見地から善導してくださっているわけですが、我々人間は明日自分に何が起こるかも分からないわけだから、神様や守護霊様がどういう意図で試練を与え、どのようなお考えで願望を実現してくださっているかなど分かるはずがないのです。

だから本当に神の真実を求めているなら神様、もしくは守護霊様に「真実を与え給え」「進むべき道を示してください」という風に真剣に一定期間祈るのが最善の答えを得られ最良の方法だと思います。

ただ人間には自由意志が与えられているので神様や守護霊様が人や自分に起こることを通じて真実を伝えていても、自分の意識がそれを邪魔してしまうことがありますが、ご神縁ある魂の持ち主であれば守護霊様が立派な方が守護してくださっているので結局は正しくご縁が結ばれると思います。

損得で考えるから本質を見失う

僕自身、ワールドメイトで活動している中でどうしてこんな行事をするのだろう?と思うことは時々あります。でもそれは狭い自分の見識や価値観のフィルターで見ているからそう感じるのであって、懐疑的な人はこれを洗脳されていると言うでしょう。

洗脳という人はなぜそう考えるのか?というと「宗教は自分の開運の為に行うものであるという考えが根底にあるからです。」

ワールドメイトは運を良くしてくれる業者ではありませんと明確に言っています。

人には人の心があるように神には神の人格があるのです。
神様はこの世を秩序や調和、愛に溢れた世界にしたいと願っておられるのですが実際は自分さえ良ければ良いといった強欲になったり、自己の利益ばかりを求める人が増えすぎてしまっているのです。

その調和を無視した我良しの世の中を神様の御心に適った世の中にする為にワールドメイトがあり、その神様の願いを実現する為に奉仕の精神で様々な活動をしているのです。だから根底にある感情や価値観が、この世的な損得で動いていないのです。

親であれば愛する子の為なら損得関係なく、色々買いたいもの食べたいものを我慢したり、仕事を一生懸命頑張ったり習い事や学校に送迎してあげたりと愛情という一点で動いてるのと同じです。

そして神様の為に…という善行をしていくことで徳分といって運をよくしてくれる貯金が積みあがっていき、その結果としてどんどん開運していくのです。

宗教の場合はその善行を意識的に行っているからどんどん貯金が貯まっていきますし「神社仏閣を支えた徳は子々孫々にまで行き渡る」と言われているように神様をお支えするというのは非常に効率よく徳が積めるのです。

最初から全面に徳が積めるからワールドメイトに入ろうかな…と我欲を出し過ぎるのは本質からズレるので好ましくないですが、ただ神を支えるという行いは非常に価値あるものなのです。

そして我々は死んだ後も霊界での生活が待っているので、如何に生きている間に神様の為に尽くし徳を積むか?
その善行の度合いによってどのような霊界に行くかが決まるのです。

人は死んだら無になるんだ…という方はそう思われるならそう思われれば良いと思いますし、その点を否定するつもりもありません。人生は自己責任なのですから。

予備校や時計宝飾店の経営

ワールドメイトの教祖である深見東州先生は予備校や時計宝飾店を経営していますが、どうして宗教の教祖がこのようなビジネスをやっているのか?金儲け主義ではないのか?と誤解されている方がいます。この点についてワールドメイトの公式ホームページから引用致します。

ビジネスの場で学び、実感した人々の悩みや苦しみをワールドメイトで活かすことはあります。しかし、これはビジネスと宗教の混同ではありません。法的にも財政的にも活動内容も、明確に区別されてるからです。

しかし、このように宗教者がビジネス現場の先頭に立ち、苦楽を共にすることを誤解する人がいます。最初に述べたように、神道の「現実を生き貫く精神や魂の、輝きに価値を見出す」思想を知れば、何の矛盾もないのです。しかし、そういう知識がないために、多くの人が誤解するのです。

上記の引用を僕なりに解釈すると、逆に宗教だけをやっている方が本当に人の苦しみが分かるのだろうか…ということです。実際にビジネスの最前線で先頭に立ち、経営を行うことで経営者の苦しみ、仕事の苦しみ、働くことの意義、顧客側の心理など本当の社会というものを理解できるはずです。

偉そうに信者を対象にだけして立派な教理を説いたところで説得力に欠けたり、この人は偉そうなことを言うが実社会のことを本当に分かっているのだろうかと疑問を抱くはずです。

ですからワールドメイトでよく誤解されるのが深見東州先生のこういったビジネスをなぜ行うのか?という点なのですが、引用でも述べているように何の矛盾もありません。

 

 

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